「弟子ではない0」
※ 「記憶」の続きみたいです。
※ さらに9月にUPしたものの前編になってます。
師匠。
それはいつものように幻聴かと思っていた。
ただ、いつもの儚いそれとは違っていて、俺は本格的に狂っちまったのかと思って。
やがて戸口に奴の姿を見るにいたり思わず「勘弁してくれ」と呟いた。いよいよ幻覚つきか。
師匠。
「ぼうっとして一体何だ。昼間から酒びたりか?」
理想化された幻覚からは聞かれなかった憎まれ口だ。
まる2年待って、ようやく本物のお出ましというわけだ。
生きてればいつかは戻ってくるだろうと思っていたが。
コイツが試験に合格するのがこんなに早いとは思っていなかったから。
どこかでのたれ死んだかと俺が絶望に身を浸すほど未来の話、
たとえ再会が叶ったとしてもそうに違いないと覚悟していた。
そんなわけで俺はぼうっとしていたし、弟子は戸口に突っ立ったまま入ろうとしない。
怪訝に思ってたずねようと口を開く前に奴が言った。
「…言わないのか?それとも迎え入れるのが嫌だとか」
「ああ」
そうだった。
今は俺しか言えない言葉。
弟子は待っていたらしい。
「おかえり、クラピカ」
ほっとしたように相好を崩して奴は漸く土間に足を踏み入れた。
「ただいま、師匠。」
死体に言わずに済んでよかった。
切り出す用件はわかっていたが、何よりまず力いっぱい抱きしめてやりたかった。
おかえり、クラピカ。
もういちどそう言って両手を広げてみせる。
ふところに入り込んで、やがてためらいがちに背中にまわされた手の暖かさ。
俺にはそれが唯一つのものだ。
体を離したあと、所在なげに視線をゆらめかせたあと、奴は口を開いた。
「用件は、もうわかっているのだろう」
「そうだな」
「では」
俺は頷いた。教えてやる。元からそのつもりだったのだし。
掟だからこの弟子には秘密にしていたが、うまくいけば当然このような運びになると思っていた。
帰ってきたこいつがそれに腹をたてているだろうとも。
しかし弟子は別に秘密に対する文句も言わずに、ただ改まって「お願いします」と手をついて頭を下げた。
なんだか、こう、切ない気分ではあった。
かつてはそれなりの道場を開いていたが、
クラピカを拾って暫くして休業した。
それでも自分は彼女に自分をなんと呼ばせたらいいのかわからず、ずっとそのまま通してきた。
師匠。
そう呼ばせてはいても、一体自分たちの関係はなんなのか、ずっとはっきりさせなかった。
似ているが、親子ではない。純粋な師弟関係とも言えない。
これから自分たちの関係はどこへ行ってしまうのだろうか、と埒も無いことを考える。
あの日、自分たちの上を横切った予感のようなもの、それが行き先を示唆していると言うわけでもない。
夜が訪れる。
その日は疲れているだろうと修行は開始せず(なにしろこの山の上にたどり着くまでがちょっとした修行のメニュー以上のものだ)、
かつてのように隣り合わせで布団を敷くと、弟子はおとなしく寝息をたてはじめた。
俺はほっとしていた。
彼女が時折俺に対して向ける眼差しに、もう子供ではない翳を感じるようになったのはもうずいぶん前だ。
必死で否定するのと同時に、無理もないと考える自分もいた。
あの時は、本当に俺しかいなかった。
彼女に芽生え始めた欲望をぶつける先も、それを許す存在も。
俺たちにはお互いしかいなかった。
けれど。
今や自分の知らない時間を過ごしてきた、もう2年前とは少し違うはずの弟子が背中のむこうにいる。
なかなか寝付けなかったが、それでも無理やりに目を瞑りうとうとと眠りに入りかけると、しばらくして背中に小さな温かみを感じる。
手だ。
そういえばいつのまにか寝息は聞こえなくなっていた。
「眠ったのか?」
答えたくなかった。
しかしそうでないことを知っていて聞いたのだ、この弟子は。
「起きてる。お前はもう寝ろ、明日は早いんだから」
「目が覚めてしまった。このまま1人では眠りたくない」
擦れた声がかつての夜を思い出させる。
「ひとりじゃねえだろ。俺は、ここに」
今ならどうにかかわせるのではないかとバカなことを考えた。
この甘美すぎる誘惑に逆らえるはずもないことは既に知っていたのに。
「……言わせるつもりか」
背後から回された手が、俺の胸元をゆっくり撫でる。
寒気にも似たなにかに翻弄される。
ああ。
最初からそうと決めていたのだろう。
ここに戻ったら俺に身を任せようと。
何に突き動かされているのか、焦燥、不安、あるいは情欲。
どんな理由からにせよ、肉体的な繋がりを俺との関係の中に欲しているには違いない。
どうして俺なのかはわからないが、多分この衝動は儀式的な何かだと、彼女も考えているのだ。
そしてそれを俺に与えるよう命じているも同然なのも。
今までずっと不可侵の領域だった。願わくばこの先もずっと、と。
一度禁を犯してしまえば二度目からは容易くなる。
始めてしまえば終わりが来ることも解っている。
今までの曖昧な関係から、終わりがあるものへと。
……終わりが。
瞬間、彼女の考えが少しだけ見えた気がした。
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04/11/14 リライトして前編を付けてみました。