この焦燥はなんなのだろう。

庇護されることに慣れ

眩暈を覚えるほどの幸福の中にいてさえも。




恐れているのは私ではない。

殆ど女とすら言えない私の細い体を探る手が、

ときどき躊躇うように動きを止める。

恐れているのは私ではない。

あの雨の日以来、私にはこの男しかいないから。

生きていくのに必要な知識と技能と

夢にうなされる私にまじないのような抱擁を与えてくれるこの男しか。



思い出せ。



頭の奥で声がする。

いつまで偽りの幸福に浸っているつもりだと。





指先と唇。

他人の体温の記憶。




暗闇。…雨の音。




何が起こってるかは知っていた。

また愚かな「外の人間」が宝探しにやってきたのだ。また。

戦うことを許されないただの子供だった私は、

そこで子猫のようにまるくなっていただけだったけれど。

「大丈夫、我々は選ばれた民なのだから。」

「たかが盗人になど」

「我々は強い。だから負けない」

父の言葉は呪文のように私の心に刻まれていたから、

私はまだ安堵のゆりかごの中にいた。

あたりが静かになって、目の前の扉が開かれたときも、

父や母が暴漢を一掃して戻ってきたのだと疑いもしなかった。

光を背にしたその男を目にするまでは。



――――子供か。



聞いたこともない声だった。まだ若い。

眩しくて目を細める私を覗き込むと、品定めするように頬を撫でる。



だめだな、これは。このままじゃ。



ただ不思議だった。

ここは秘密の場所で、父や母が見知らぬ男を連れてくるなどありえないこと。



――――全滅?



手に入れた回答は十分に納得の行くものだった。

だけど、まさか、でも。



「なかなか察しがいい」



まるで心を読んだように、目の前の男は私の出した結論を肯定した。満足げに。

「表に出るか?あんなに美しい光景は多分、二度と見られないだろう」

私は想像した。

血溜りの中に折り重なる躯と、それを映して鮮やかに映える緋色の宝石。

選ばれた民。美しい?何のために。

「すべて回収されるまでにはもう少し時間がかかるだろうな」

思いがけず耳元で男の声がした。



「殺せ」

自分の言葉ではないようだった。

いまこの場面で言わなければならない台詞。ただそれだけ。

「殺せ」

「まだ、だめだ」

菓子をせがむ子供を諌めるような口調で。

「興味がある。理由は違っても、同じ緋色に染まるのか」

抱きしめられたとき、何故私は男の問いに答えようとしていたのだろう。

愚かなことだった。

男には答えなど不要だったのに。

私は、ただの実験動物だった。

誇り高い一族の末裔などではなく。







私の体。中も外も。

自分ですら触れたことのない場所に、何度も侵略を繰り返すもの。

神聖な行為のはずだった。

いずれ一族の誰かの子を生すための。優秀な子孫。選ばれた民。

けれど男の冷たい指先は無遠慮に私を撫で回し、

私は意味もなくそれに反応する。そこにはなにも生まれはしないのに。

これが最期か。

選ばれた民の最期。こんなものが。

私は堪えきれず笑い出した。

目の前の男は体を折って笑い続ける私を酷く冷静に観察していたが、

やがて興味を殺がれたように、その場を立ち去った。

なぜかと問うまでもない。

私の眼は緋色に変化しなかったのだ。




やがて聴こえてきた雨の音。

私は外に出た。

急ぐ必要があった。

流されたはずの血が全て洗い流される前に。

まだ息があるかもしれない同胞を探すために。






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